シンプルメン - ハル・ハートリー監督

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ハル・ハートリーという監督の名前は聞いたことがあった程度で作品は全然知らなかったが、ツタヤの発掘コーナーで見掛けたジャケットと粗筋が良さげだったのでレンタルして見てみたらこれが非常に良かった。当たり。
世に出た当時はポストジャームッシュなんて呼ばれていたようだが確かにあの手の、平熱の低いストリート映画。しかし今作に関していえばジャームッシュよりも更に投げやりなような雰囲気が強くほのぼのとしており、都会的な刹那みたいなものはあまり感じられない。ただそのほのぼのさの裏側にはひょっとすると、もっと気だるい虚無感みたいなものが色濃く張り付いているような気もする。
この手の映画にしては脚本や人物の設定は割とかっちり設定されているもののやっぱり大事に扱われてはおらず、いなたいギターがやるせなく響くメインテーマ?みたいな音響から、各場面の絵面、人物のファッションやその場限りの所作や台詞にこそ神経が注がれていて非常に良い。各場面にあまり連続感が無い、全体としての結び付きが弱いような映画は見疲れしにくく、「たまに取り出して適当な場面だけちょっと見る」みたいな付き合い方がやり易い気がして好きだ。カットの切り替わりもあまり頻繁なものはしんどいが、本作はとても落ち着いている。
この監督の中で一番有名らしい「ソニックユースでヘンテコなダンスを踊りまくる」という下のシーンにしても、物語の中で特に何の脈絡も無く唐突に始まり唐突に終わる。というかむしろこのシーンのために映画全体があるのではないか。それくらいさり気なく最高なシーン。特にターンしつつタバコ受け取るところとか何度見ても風情きわまっていてほれぼれする。
そして何と言ってもこの監督、女優とその衣裳のチョイスが本当に素晴らしい。今作では冒頭で兄貴を裏切る女から、途中で助けてくれる女子高生、そして踊るおかっぱことエリナと、ケイト以外は軒並みホームラン級で、1つの映画でここまで玉が揃っている作品がかつてあっただろうか。この点だけでも特筆に値する。なお予告編をみる限りこの監督の他作品も少なくともこの点は間違いなさそうで非常に楽しみ。
本当に、なぜ今までろくに日本でソフト化されていなかったのか、不思議でならない。


Simple Men - dance scene - YouTube

美しい日々 - バルテュス

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先日、上野にバルテュス展を観に行った。

暗い室内の椅子にだらりと腰掛ける少女、猫。手鏡。展覧会には結構風景画なんかもあってそれも決して悪くなかったような気はするが、全く印象に残っていない。

奇妙にねじ曲がったようなポーズや、ベタッとしてまるで奥行きを感じさせない平面的な構図・色合いによって描かれるバルテュスの少女達には恐ろしいような懐かしいような違和感があって、しかしその違和感こそが正しく対象を見つめている証左のように感じられるから不思議だ。予め現実からずれているような。

絵の中の彼女達は退屈を持て余し、そして自身の魅力の前には全ての男達が、ひいては世界がわけもなくひれ伏すであろうことをさも当然のように理解しているふしがある。それは大変危険な退屈しのぎであり、しかしその危険の重大さには気付かず踏み出せてしまう幼さ故の無知すらもまた、彼女たちの魔力の一部に過ぎない。その力はやがて少女達自身の個別の輪郭をも大きく超えて、世界に漏れ出していく。バルトュスが生涯に亘ってキャンバスに捉えようとしたのは、その全貌なのではないか。そんなことを思った。

というかバルトュス、「小さな悪の華」絶対好きだったろうな。

展覧会なかばにある本人のアトリエ再現もかなり気合いが入っていて見ごたえがあった。天井が高く大きな窓のある木造の空間に絵の具や羽織や椅子が置かれている様はまさに彼の絵そのものの色合いと雰囲気であり、展覧会のコースの中で良い箸休め兼変化球になっていたと思う。特にあの大きな窓の下の絵の具机は運搬も再現も大変だったと思うが、主催側の気合いが感じられた。

あと印象的だったのが最後の売店コーナーに、老年期に入りスケッチをしづらくなったバルトュスがその代わりにしていたというポラロイド写真を集めた写真集が凄く高い値段で売られていたのだが、それが夢の様に綺麗だった。モデルの姿を収める角度や入り込む光線の雰囲気など非常に美しく、あらためて画家の視点の鋭さが滲む。あれの廉価版あれば買ったのにな。幾らか忘れたけどとても買えない値段だったことだけ覚えている、、、

などと思っていたらこんな写真展が別会場で開かれていることを今発見した。世の中うまくできてんなー。

バルテュス最後の写真 ―密室の対話

http://mimt.jp/balthus/

Shiver - Lucy Rose

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今期放送されているアニメの一つに「蟲師」という作品があって、そのオープニングに使われていたたため、この曲を知った。単純にとても良い曲であるのと、純和風な雰囲気のアニメのオープニングにこんな洋楽フォークを選んだスタッフのセンスなども相俟って印象には残っていて、今日の昼間に何気なくyoutubeで検索した。結果、PVでは久しぶりに掴まれ、何度も見てしまった。

内容はとてもシンプル。老人男性が一人で曇天の海岸を散策する様子と交互に、おそらくは何十年も前、全く同じ場所でまだ若い彼とその恋人が楽しそうにはしゃぐ様子が記録された古い8ミリ映像が差し込まれる。

ベタな追憶演出と言えばそれまでなのだが何だろう、楽曲の良さも相俟って、もの凄く刺さった。つくづく、思い出とは残酷だと思う。老いた肉体を抱えた彼はおそらく一人取り残され、それでも記憶や記録だけはいつまでも、むしろ時が経るにつれ輝きを増していくことすらある。それは幻想だと、あるいは過去に拘泥することなど無意味だといくら頭で理解したところで、沸き上がる感傷をどれだけせき止められるのだろう。

カラカラと回るボロボロの8ミリの中で、いつまでも美しく微笑む彼女。僕なら覚えていたいだろうか。忘れてしまいたいだろうか。

そういえば昔見たデビッド・リンチの「ストレイト・ストーリー」という映画で、主人公の老人が旅の途中で出会った若者に「年を取って一番辛い事は何?」と聞かれて、「それは若い頃を覚えている事さ」と答えていた事とかも、何となく思い出してしまった。

本当に良い曲です。


Lucy Rose - Shiver - YouTube

ブルー・ジャスミン - ウディ・アレン監督

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主演のケイト・ブランシェットがアカデミーで主演女優をとった話題作。銀座シネ・スイッチにて鑑賞。ウディ・アレンという人は本当に意地悪だと思う。40年代くらいの軽妙なスウィングに乗せて綴られる物語は滑稽でそれ以上に切実だ。
幾つもの会社を経営する夫と共にNYで裕福な生活を送っていたジャスミンだが、実は夫の事業内容は違法スレスレであり、ある時告発を受け全てを失う。財産どころか莫大な借金さえ抱えてしまったジャスミンは行くあても無く、敬遠していた西海岸の妹のもとを訪ねる。
主人公のジャスミンはまるで漫画の様に極端で分かりやすく虚栄心の塊だがそれこそ日本には、バブル当時ブイブイと踊っていたのであろう現在四十過ぎ位のご婦人の中にこういう人間が本当にいる事を、僕はよく知っている。どこまでも上辺だけを飾りたて、名も変え、自分では何もしていない・できないくせにプライドだけは山のように高く、また彼女にとって男は自分に富や名声、安心を与える代替可能な触媒でしかない。
しかしそんな愚かな彼女を冷笑と共に突き放す事が出来ないのは、「装飾をはぎ取った丸裸の自分など、誰も愛してくれるはずがない」という、本作全編に亘って彼女が逆説的に叫び続けるその声に不本意ながらも共感してしまうからだろうか。


映画『ブルージャスミン』予告編 - YouTube

※以下はオチに触れています。

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YOU - ART SCHOOL

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アートスクールはセカンドの頃くらいまではよく聞いていたが、余りに何度も繰り返されるベタベタな退廃趣味、少女性への畏怖や憧憬といった広がりの無い歌詞世界に主に興味を失い、ながらく聞いていなかった。が、先日ふと目に入った本作を何となく試聴して購入。とても良いです。

ジャケットも歌詞もサウンドも90年代にまだまだ囚われているかの様で特に変化も無いが、ここまでやりきっていると一周回って逆に清々しく聞けるという感じだろうか。一時期はエレクトロぽい感じを導入してみたり色々試行錯誤していたようだが、本作に至っては開き直ったかのように、素直に曲を書いていると思う。ともすれば安直と捉えられがちなヴァースコーラスヴァースを相変わらずガンガンに繰り返すが、その事によって改めて浮かび上がる木下理樹という人のメロディセンス。この人はもともと轟音オルタナというよりは、キュアーとかREMみたいなもう少し可愛らしい感じの旋律感が底にあるのではないかとずっと思っていたが、本作ではいよいよその本領が発揮されているように感じる。また、サポートリズム隊の二人も凄い。基本的にパワータイプだが、かなりの緩急自在でシンプルな楽曲を巧みに彩る。特にモーサムのドラムという藤田という人はそのプレイを今作で初めて聞いたが凄く奔放で野性的なイメージ且つ、ここぞ!というところで手数を打ち込んでくるのがたまらなく気持ちよい。あえて挙げるなら昔の中村達也のプレイと似た匂いがある。。ような気がする。

いわゆる「今夜はブギーバック」形式の一曲目はまぁご愛嬌といった感じだけど、全体的に押し付けがましく無いグッドメロディーと90年代踏襲上等!な楽曲、そして相変わらず「手を伸ばす」「触れられない」「飛べない天使」「君はあの時何て言った」様な歌詞達がでも何だろう、、今、改めて胸をうつ。これは多分もう自分が完全にそういう所にいないと実感しているからこそ素直に受け取れるようになったということだろう。年を取った僕を、変わらなかった、変われなかったバンドが、今一度射抜いたということか。

音質というか音色も、全体的に丸っこくて聞きやすいもので非常に良い。これ多分アナログ録音していると思うのだけれど、どうなんだろうか。色々書いたけど、結局この点がリピート再生の一番の要因な気もする。スマパンのメロンコリ(リマスター版ではなくオリジナル!)に近いようなニュアンスもあって、素晴らしい。皆こういう音で録ってくれたら良いのに。

filmachine - 渋谷慶一郎+池上高志 at 六本木ヒルズ52F

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少し前に六本木ヒルズで開催されていたMedia Ambition Tokyoというテクノロジーアートのイベントに行った。もちろん以前から体験してみたかったfilmachineが目当てだったが、元々この手は好きな方なので全体的に楽しみにしていた。巨大なビルの52階というロケーションは、何度か来ているがそれでもやはり高揚し、またどこかは落ち着く。小雨の降る平日夜に行ったので会場はガラガラであり、暗く、日本人よりも白人の方が多かった。東京のおいしい場所には、いつも白人の方が多い気がする。

filmachineはそれ自体がひとつの部屋であり、その中に入って段差のある足下を移動しつつ、あるいは停止しつつ、明滅・移動する光と音の本流に浸されるというもの。音は全て電子的なノイズでありピアノ音などは一切無く、周囲を取り囲む形で設置された計24個のスピーカから動き回る様に放射され、また収縮する。

一セット二十分と長いが全く退屈する事なく、しかも贅沢な事にほぼ独り占めで楽しめた。縦横無尽に駆け回り、近づき、遠のき、降ってきて、湧いてくる音。特に後半に何度か訪れる大サビ?的な圧が高い時間帯は、音による耳穴の清掃という感じで、これは非常に身体的・即物的な意味で本当に気持ちよかった。あのノイズはぱっと聞きだと正にPCで作りましたという冷たい印象があるが、とてもウォーミーだと言われたらそんな気もする。とにかく言いたいのは、強烈な中毒性があるという事。

他にも、大玉転がしの大玉みたいのが敷き詰められ、それをかき分けながら部屋を進むとボール同士がぶつかって部屋全体のライティングが変化する部屋とか、触った所だけもののけ姫のコダマのような音と青い光を発するのが妙に癖になる円柱とか、丁度filmachineの入り口上部につり下げられた小さな羽が集合して巨大な回転体みたくなってるようなものなど、全体的に僕の好きなハードSF的趣向を感じ取る事ができ、とても満足した。特に回転体はそれこそBLAME!にあんなイメージが登場していた気がする。真っ白で裾の長いドレスを着た御使いかなにか、その回転の表現として。

順路の終わりには同フロアで開催されているアンディ・ウォーホル展に因んだ飲食スペースが設けられており、帰り際はそこでばかでかいウォーホルバーガーなどを食しつつ夜景を見ていた。ガラスの外は小雨に煙り、高さも距離も何もかも曖昧でえらく白々しい感じがした。バーガーはでかすぎてどこから食ってもこぼれ、対バーガーに初めてナイフとフォークを使った。飲食スペースは天井も非常に高く開放感があり、体育館の真ん中で飯を食っている様な感覚。また夜景を引き立たせるためか異様に光量を絞っており、隣のテーブルに座る人の顔すらよく見えない。ウイスキーコークはメニューに無かったが、頼んだら作ってくれた。

足下の都市には、全然人の気配が無かった。


filmachine - YouTube

SENSE WISENESS - WISESENSEI

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友人が貸してくれて最近よく聞いている。

初聴時は正直ピンとこなかったけど、ほとんどシンプルなベースとドラム、あとは音数少なめのピアノがたまに踊る位のスカスカと言っていいトラックに、迫力はあるのだけど決して高揚はしていかない、どこか抑圧されたようなラップのバランスが何とも不思議に、くせになる。フロウや声の雰囲気は少しブルーハーブのボスに似ているような気もする。

しかし残念なのは、幾つかの曲でドラムの音が良くないこと。特にスネアの音圧がキツくなってしまっている箇所は辛い。iPodでイヤホンという環境ではなく、ひょっとしてフロアで大音量で聞くと丁度良いのかもしれないが、それにしてもキツいと思う。その辺りは残念だけど、とは言え非常に質の高いアルバムであるのは間違いない。

そういえばシミラボもシックチームも新譜が出てるはず。チェックが追いつかない。

WISESENSEI - Beyond the walls

曇り

叔母が死んでしまった。先日京都で、また会おうねと言って手を振ったのが本当に最後になってしまった。

悲しい。でも、もっともっと後から後から、実感のようなものが押し寄せるのだろう。空しい。自分たちより一つ上の世代で最初に死んでしまったのは、よりによって一番可愛い人だった。

知らせを聞いた今日の午後、どこであれ建物の中にいるのが非常に苦痛で参った。

薄曇りの、それでも陽もこぼれている冬の空、雲。どこまでも突き抜ける様な感覚に何かを流し込んでいないと、耐え難い。

悪の教典 - 三池崇史監督

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面白かった。原作小説は未読。若く男前で人望も厚い英語教師蓮実が、文化祭前夜に生徒達を殺戮する。伊藤英明は初めてまともに見たが、鍛え上げられた肉体やパット見お人好しそうな表情に鮫の様な目が張り付いている顔つきなど、非常にはまり役で素晴らしかった。
学校教師ものにありがちな様々な要素が、今作でも多く語られる。生徒や教師それぞれの立場でのヒエラルキー、イジメ、裏掲示板、カンニング、不良生徒、モンスターペアレント、脅迫と肉体関係、淡い恋等々、、、しかし本作は勿論金八先生ではない。それら複雑に絡み合いあるいは独立した全ての要素、その解決も未解決も気持ちも行動も一切はラストの30分で、まるで無差別に蹂躙される。
蓮実は巧妙に仮面を被ったサイコパスであり、善悪の概念は無く、また快楽殺人者でも無く、ただただ自分の欲望や理想の邪魔になりそうな人間を何の躊躇いも無く排除していく。良い奴も悪い奴も好意も悪意も男も女も大人も子供も生徒も同僚も、彼の世界では皆平等であり、ただ邪魔か否かという極めてシンプルな基準にてのみ生死の審判は下される。この文字通り悪魔的な公平さによって何の躊躇いも無く虐殺が行われるクライマックスには、普段誰もが心の底に押し込めている、邪魔だったり面倒くさい要素をいっそ一気に排除できたらというどす黒い願望を強烈に満たす、得も言われぬカタルシスがある。
逃げ惑う生徒達の阿鼻叫喚以外には愁嘆場も説明も無く、もう出会い頭にどんどん殺していく、そのまるで感情を感じさせないスピード感なんかは特に三池監督の本領発揮という感じで小気味良く、また蓮実がテーマソングとしていて、劇中でも印象的に使われるマックザナイフの陽気な旋律とも見事にリンクしており素晴らしい演出。唯一、「校内に猟銃持ちの不審者が侵入した」というアナウンス後の生徒達が何というか、いわば急に戦闘モードに突入するのは不自然に見えたが、それ以外は作品世界として特に秩序が乱されていると感じる点も無く、物語前半に仕込まれる幾つかの伏線も意外性こそ無いもののきっちり回収される。

というわけでクソみたいなエンディングテーマを除けば、完成度の高い快作だと思う。
しかし教典という言葉が入ったタイトルや高校という舞台、また主人公の設定などから見ていてデスノートを思い出した。ずば抜けた能力を有しつつ究極に独善的であるというダークヒーローの存在感は、どんどん潔癖になりつつある世の中においてますます増していく様に思える。


映画「悪の教典」 予告編 - YouTube

鴨川

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親族の結婚式に出席するべく久々に帰省。式場は京都だったのけれど、随分久しぶりに鴨川沿いなど歩いた。

結婚式に限らず式はあまり好きではないので基本的に不愛想することが多いのだが、近年大きく体調を崩してしまっている叔母が今回は病院を抜け出して、といっても移動式のベッドに寝た切りで酸素ボンベ備え付けという状態だが、何とか参加できるとのことで、彼女にこのようないわば目出たい席で会うのは最後かもしれないという我ながら下品というか現金な思いを以て、珍しく参加したのだった。

彼女はまだ50代で、しかしもう自力で歩く事も出来ず、やせ細り、多分もうすぐ死んでしまう。

自分の母親を含め割に面倒くさい曲者ぞろいの母方の親族の中で彼女だけは例外的に明るく天真爛漫で、昔からもの凄く可愛らしい人だった。お洒落や美味しい食事が大好きで、一度東京で銀座を案内した時には当時出来たばかりで混雑していたフォーエバー21に、それこそ今回結婚した彼女の娘と共に突撃していつまでも戻ってこず、興味の無い僕は銀座松坂屋の前でずっと待ちぼうけを食らわされたが、この叔母に関してはまあしょうがないかという感じで全然腹も立たなかった。いつも自分の事しか考えていない僕は全然気づけなかったのだけれど後に母親から、この時点で彼女はもうすでに抗がん剤の副作用でかつらだったのだと聞かされた。

特に自分自身に関して、いたずらな悲観や否定はそのまま卑しいナルシズムと直結しているようで嫌なのだけれどこういう事がある度に、なぜ自分は健康で生きているのだろうとついつい考えてしまう。幾つになっても可愛らしい叔母はいつも誰からも愛されるムードメーカーでその才能や存在はどう考えても僕より貴重なものだなどと、卑屈な思いがよぎる。この世に神はおらず、病気や災害はただただどこまでも残酷に公平なくじ引きでしかないと、頭ではそれこそ小学生の頃から分かっている筈なのに、割り切れない。

どうして彼女のような人が。こんなにも早く。子供もようやく手を離れ、これからこそ色んな所に行ったり服飾にお金を掛けたり、そういった事柄を、もっともっと謳歌して欲しかった。

青白い顔でベッドに横たわり、もともとおっとりしていたが更にゆっくりしか喋れなくなった叔母はしかしオフィーリアの様な死に魅入られた者特有の刹那な美しさをも身につけていて、そしてそんな事を思う自分が、また今回こそはたまらなく嫌だった。

僕は叔母の事が凄く好きだが出来る事も掛けられる言葉も最早見つける事が出来なかった。子供の頃、当時特に険の強かった母親に僕が結構な勢いで叱られているとき叔母はよくまあまあと庇ってくれた。介護タクシーで式場を去る叔母を見送ったとき、全身を病に冒された彼女はしかし当時と全く同じ優しい表情で少し頷いてくれて、でも僕は、相変わらず力なくうなだれる事しか出来ないガキの、あの頃のままだった。