SOMEWHERE - ソフィア・コッポラ監督

f:id:when87:20140125222257j:plain

最近「ブリング・リング」が公開されているソフィア・コッポラの前作。
本作前のマリー・アントワネットが割と派手派手な絵面だった反動かどうかは知らないが、本作はとてもミニマルで静謐な作り。ホテルの室内で主人公がただ座っているのを固定カメラから1カット長回しでじっくり撮り、BGMも基本的には無し。でも環境音はカットしていないという様な場面が多い。あとは、車での移動シーンも多く、また主人公は様々な女性と遊ぶが空しさだけが募るという点で、ギャロのブラウン・バニーにも通ずるサラリとした空虚がある。というか今書いてて思ったが、オープニングの「同じ所を車で回る」シーンなんかまんまだ。二人の才能ある監督が、内容自体は全く違うもののどこかしら同じ様な虚無を孕んだ作品の、その冒頭の絵がとても似ているというのは何やら面白いなと思う。
 「自堕落な生活を送る離婚した父親が久し振りに娘と過ごす事になり、それを契機に自分を見つめ直す」というプロットそのものは主人公がハリウッドスターという設定を除けば、割とありふれたものなのかもしれないが、それをあの巨匠フランシスを父に持つソフィアが撮っているというのは単に皮肉が効いている、という以上に切実なものを感じる。本作の主人公ジョニーにはやはり、ソフィア自身の父親像や願望が多く投影されているのだろう。
 全体的に退屈とも言える淡々とした描写が続くが、役者達のうまさとソフィア一流のセンスある画作りのおかげで飽きずに見れる。毎度の事ながら、本当にどのシーンも絵になる。又、ジョニーの元?妻、娘の三者の過去・現在の関係もはっきりとは描かれないのでその辺を会話や行間から汲み取ろう、というか漏らすまいと思って見ていると結構自然と集中してしまう。この辺の設定のぼかし具合も絶妙。
 あとソフィアの作品には欠かせないミューズだが、今作ではダコタの妹、エル・ファニング。その雰囲気というか透明感というか、本当に妖精としか思えない可愛らしさ。特に室内でバレエを踊るシーンと水中で笑うシーンは強烈。ヒロインであり一番のキーパーソンであるという以上に、基本的に淡々とした本作を彩る華として十二分の存在感を放つ。しかしwiiとかバレエのシーンはあれ演技というよりは素に近いのだと思うが、どうなのだろうか。あれがもしもカッチリした演出下でのザ・演技なのだとしたら、ガラスの仮面よろしく「おそろしい子、、、!」だと思う。
富も名誉も手にし、男前でモテて、離婚はしているものの定期的に会える可愛い娘がいて。それでも寂しさは手を変え品を変え、募る人には募るのだというお話。傑作。

フランシス・コッポラはこれを見てどう思ったのだろうか。軽い復讐だと、とれない事もないけど。


映画 『SOMEWHERE』 予告編 - YouTube

病める子 - エドヴァルド・ムンク

f:id:when87:20140119204219j:plain

日曜美術館ムンクが再放送されていた。

この人の作品で有名なのは何と言っても「叫び」だろうが、本作のような傾向の作品も多く残しているようだ。彼は幼い頃に結核で母を亡くし、また思春期には一歳違いの姉を同じく結核で無くしている。この絵はその時の記録というか、イメージを元に描いたもので、姉の手を握っているのは母親の死後面倒を見てくれていた叔母の姿らしい。

病に冒され余命幾ばくも無い少女の手を握り打ち拉がれる大人の女性に比べ、当の少女自身は全てを諦め、また見透かしているかのような穏やかな顔つきをしており、まるで大人の方が慰められているかの様に見える。結核患者は肌が透き通るように白くなるそうだが、その肌の色と燃える様な赤毛、深い緑色の衣服といった対比も鮮烈で、この絵の中の少女の人外っぷりに拍車を掛けている。

またこの絵は、例えていうなら激しい雨が振り付ける窓ガラスの外側から室内を覗き見ているような演出がなされており、更にこの絵を間近で見ると色を塗った後に、ナイフで横に傷を付けたような線が無数に引かれているという。

姉の死の記憶にまつわる悲しみや不安、儚さ、運命の理不尽な残酷さ。悲嘆にくれる叔母や執拗に画面をナイフで削った画家の激しさと、しかし裏腹な、死にゆく少女の穏やかで優し気な眼差し。そういった全てを過不足無くキャンバスに現出させた傑作だろう。

渋谷慶一郎 Playing THE END at 表参道スパイラルホール(2013.12.28)

f:id:when87:20131228181054j:plain

今年のライブ納めとして渋谷慶一郎のピアノソロコンサートに行った。会場は表参道の瀟洒なビルの三階のホールで、同ビル一階のカフェも、広くてピアノがあって、印象的だった。

舞台演出は去年のfor mariaコンサートと同じ様な感じで、中央に要塞のようなピアノブースを置いて、周りを客席が囲む形式。僕は今回入場が遅かったので余り良い席を確保できず弾いてる演者の姿がほとんど見えなかったのだが、一番通路側だったので足を投げ出して座る事が出来たのは楽だった。隣席の女性は、大きな帽子と毛皮のコートをずっと膝の上で保持しながら鑑賞するのが他人事ながら大変そうだった。

最初の一音でとても驚いた。それは美しいとも違う、繊細とも違う。音量は小さく、というかそもそも、今ここで弾かれている生音とは思えない。そういう不思議な音色。そういえば今回はPCもセッティングされていたので何らかの加工を施したものを出力しているのだと思って暫く聞いていたが、その内(当たり前だが)それこそ今ここで、ピアノを弾いている渋谷さんが見えた。

例えばfor mariaというアルバムは、誰かがすぐ隣で弾いている様な感触を目指して作ったそうだ。またいつかのインタビューで、特にピアノのコンサートでは、自分の家のリビングで何気なく弾いているような雰囲気をそのままステージに持ち込みたいという事を言っていたが、今回の音作りを聞いていよいよその究極に近づいていると感じた。派手さや後付けの煌びやかさみたいなものの全くない、柔らかくて優しく、すぐ傍で鳴る音。いつも思うのだがこれだけテクノロジーの先端を駆使して製作をしている渋谷さんのコンサートや音源の音色にはしかし、往年のアナログレコードのような柔らかさがいつもあって、僕は何よりそこの成分の中毒になっているのだと思う。それはノイズだろうがピアノだろうが、ある。

前編ラストのはじまりの記憶と、後編開始のブラームス、あとはアンコール一発目のfor mariaが特に素晴らしかった。あの曲は何度聞いても何かが反転するような感触がある。

downy at 渋谷www(2013.12.18)

f:id:when87:20131221212751j:plain

9年振りの新作が物凄く良かったダウニーのワンマン。今年は最期に真打ちが来たかと発表当時から凄く楽しみにしていたライブだったが、いまいち不完全燃焼だった。理由は一にも二にもPAのまずさ。僕の好みの音質では全く無かった。全体的にハイが強めのサウンドなのはダウニーの特色だと思うしそれは承知の上だが、それにしてもほぼ全体を通してスネアはカンカンときつ過ぎたし、何よりベースの低音の効いていなさ、抜けの悪さが致命的だった。僕は下から二段目のほぼ真ん中で効いていたからモニタリングには絶好の場所だったと思うが、そこであの様に聞こえていたという事はうやっぱり全体的にあのように響いていたのではないかと思う。

新譜の曲幾つかは除くが、とても10年振りとは思えないバンドのグルーブは素晴らしかったので、PA的なこういう問題で乗りきれないのは残念だった。

しかしダウニーは知った時にはもうとっくに解散していて、youtubeで何度も見ていた無空や葵を生で聞けた事は本当に感無量だった。特に新譜の曲は、生で演奏してるところを見てもやっぱり全くコピー出来る気がしなかった。

それぞれの楽器が違うそれぞれ違うリズムに乗って、それでも全体としては一つの楽曲にちゃんと見えるという構造は、端的に希望だと思った。お互いに違うまま、しかし同時に存在し、全体としては一つに見える。それが許されるということ。勿論並みの腕では簡単に分解してしまうそれらを一つの形に留めておけるのは強引なまでのメンバー各自のテクニックに依る。本当、新譜の「朝日を見よ!」とか、どうやったら合うんだあんなもん。

ライブ客限定で来年のリキッドワンマンの先行予約をやっていたので、即予約。リキッドではもっと低音を効かしてくれる事を期待しつつ。

それにしてもロビンは今回東京で、一体どこのホテルに泊まっていたのだろう。凄いセンスが良さそうなホテルの画像をツイッターに挙げていた。

downy - 時雨前/黒

キャリー(1976) - ブライアン・デ・パルマ監督

f:id:when87:20131207220316j:plain

※以下、ネタバレしています。

スティーブン・キング原作。本作は初めて観た時、冒頭30分こそやや失敗したかなと思ったものの、トミーがキャリーを初めて誘う当たりから俄然引き込まれて、終わってみれば流石の傑作だった。烏とロバの合いの子の様なキャリーシシー・スペイセクが、自分に自信を持ってどんどん可愛くなって様は正に映画のマジックが宿っていて見ているこちらまで嬉しくなるような感じだった。但しそれはクライマックスの前ふりでもあるわけで、本作ではその前ふりがとても良くできているだけに、キャリーの心情の落差を思うと本当に胸が痛い。

学校では苛められ、家庭では狂信者たる母親から虐待されいてるキャリーに、やっと与えられた幾筋かの光。それは庇ってくれる体育の先生(大人としての理解者)であったり、キャリーを苛めた事を反省し自分のボーイフレンドをプロムの晩にキャリーに斡旋するスーであったり(同世代の同性としての理解者)、最初はガールフレンドに言われて嫌々ながらも、徐々に本当にキャリーに惹かれていくトミーであったり(同年代の異性としての理解者)。それらに祝福されながら、プロムのステージを昇るキャリー。しかし、直後天井から降ってくるたった一人の悪意によって、ようやく掴んだ彼女の光は反転する。「こんなにうまくいっていいのか、本当は皆で私をからかっているのではないか」という疑心の導火線は瞬く間に燃え上がり、それは彼女の超能力という形を取って爆発、文字通りプロムを地獄と化す。その力先生もトミーも殺し、また帰り着いた自宅にて、今度は母をも殺し、結局その母と共に瓦礫の下敷きとなるキャリー。唯一生き残ったスーでさえ、の悪夢でなかば頭がおかしくなってしまっている、という所で映画は幕を閉じる。

しかし思春期のような腫れ物精神の時にましてあの状況で罠を仕掛けられ「あぁ、自分はやっぱり最初から、全員に嵌められていたのだ」と全てを呪ってしまった彼女を誰が責める事ができるだろう。その上帰り着いた自宅で歪んでいるとは言え最後の糸であった母親から文字通り刃を突き付けられた彼女の心情を思うと、もうひたすらに切ない。

見る前は単なるB級ホラーだと思っていた本作だが見終わってみると、超能力などのオカルト要素はあくまで味付けに過ぎず、一人の少女の悲劇的な青春を、繊細な手つきで表現した傑作しかし本当に、お世辞にも美人とは言えないキャリーが物語の進行と共にどんどん可愛く見えてくるのが一番印象に残った。

キャリーの家の美術や、冒頭の更衣室やプロムでの血まみれキャリー+炎など、美しい画作りも随所に見られる。あとそうだ、いじめっこのクリスはどっかで見た事あると思っていたが、ロボコップのルイスだった。何となく納得。

BRMC at 恵比寿リキッドルーム(2013.11.25)

f:id:when87:20131201000321p:plain

橫浜の時は知らなかったのだがサイン会があったらしいとの噂を聞きつけ、公式サイトなどを見て回ると、フェイスブックに詳細がアップされていた。先着50名との事で、何となく有給を取得しておいて本当に良かったと安堵する。サインは当然レコードにして貰おうと思ったが、12インチのレコードが会場であるリキッドルームのロッカーに入らない場合、ずっと手に持ってライブを観るのはごめんなので、早速検索してロッカーの寸法を確かめる。幸い丁度収まるサイズで、specterのレコードにサインして貰う事に決めた。ちなみに入らない場合はain’t no easy way7インチを持っていこうと思っていた。

当日はいつ雨が降ってもおかしくないような曇り空で、サイン会の整理券配布は17:15とのことだったが先着50名という制限が不安で、余裕をみて一時間前には到着した。しかしやはり杞憂だったようで2Fのロビーにはその時点で20名ほどが屯しているだけだった。コアなファンと言うべきか、流石に革ジャンやら黒色率が高い。取り敢えずバーカウンターで酒を求めようと思ったが、カウンターにはまだ誰もいなかった。

しかしこのサイン会待ちをする会場がリキッドで良かった。ここの二階は広めのロビーにソファも結構あるし、バーカウンターからロッカーやトイレ、ひいてはカフェまで一通りの設備が備わり完結しているので客にとってはかなり有難い環境で時間を潰せる。

ソファでしばらくボーッとしていたらやがてスタッフがサイン会待ちの列を作ると宣言し、ほぼ同時にバーカウンターも営業を開始したようだった。皆が立ちあがって並んでいく。しかしギリギリまで座っていたかった僕は狡猾にも列の前方から人数を数え、50名まではまだ余裕があることを確認すると、その日最初の客となるべくバーカウンターに向かった。開店したばかりで余裕があったのだろう、ラムコークを頼むと、ドリンク係の女子は幾つかの瓶を取り出しどのラム酒にするかわざわざ聞いてくれた。ライブハウスでこういう事は珍しい。全然詳しくはなかったがどこかで目にした事のあったキャプテンなんたらという船長のイラストがラベルに描かれたものを頼み、受取ってソファに戻る。

しばらくして、列が大体四十数名になったのを見計らってようやく列に加わった。僕のすぐ後ろには白人女性が並んでいたが、サインの列が進んで僕がレコードジャケットを取り出したとき、彼女がビューティフルと反応してくれたのが嬉しかった。わざわざ大きなレコードをユニオンの袋に入れて持参したのが報われる思い。レコードは大抵の鞄に入らないので、運搬時はそれだけを手に持たねばならない。

サイン会は二階から階段を下る形で列を作り、1Fのエントランスでサインをして貰い、終わった人はまた階段を上がってロビーに戻るという導線で行われた。僕はかなり後ろの方だったので思い思いのアイテムにサインを貰い高揚して階段を上がってくる人たちを沢山観たが、この「未」の人と「済」の人が、肝心の主役は見えない環境で擦れ違うというのは何とも言えない、サイン会独特の高揚だろう。殆どの人はCDやレコードだったが中にはヘルメットにサインして貰っている人もいた。尚、僕はspecterのジャケットデザインが非常に好きで、例え本人達のサインといえどもそこに書き込みが入るのは嫌だったため最初から内側に書いて貰おうと思っていたのだが、観ていると皆結構ジャケットの前面にばーんと書いて貰っているようで、これは結構意外だった。

列が進んでいよいよ自分の番になる。リアはおらず、ピーターとロバートの二人が座っている。あなたに憧れて同じギターを買いましたとかそれ位は言おうと思っていたのに、いざ本人を目の前にすると案の定緊張して何も言えず、もっぱらアイラブユーとサンキューを繰り返す無能を晒した。間近で観る二人は思っていた以上に落ち着いた雰囲気と穏やかな口調で、僕のたどたどしい英語に応えてくれ、握手し、さらさらっとサインを書いてくれた。ロブに至っては何やら向こうから話し掛けてくれたが、緊張状態にある僕にそのリスニングが出来るわけもなく、ただただイヤーイヤ―サンキューアイラブユーと繰り返していた。ただ、その時点で前述の白人女性はピーターとネイティブな英会話をしており、その内容が「salvationという曲が私の人生を救ってくれて云々」というものであったことは何故か印象に残っている。集中力というのはたまに妙な方向に作用する。

ジャケット内側に貰った二人のサインはこれも緊張のせいだろう、貰った直後の時点で既にどちらがどちらのサインか分からなくなっていたが、僕はとても満足して、ニヤニヤしたままバーカウンターに向かい二杯目のラムコークを注文した。どうでもよいが僕はビールや純粋なハードリカーはつまみの食べ物がないときついタチなので、ライブハウスではこういうソフトドリンクでの割り物を頼む事が多い。どうせ腰を据えて飲むような場所でもないので、丁度良いとも思う。

酒を受け取ってロッカーに荷物と上着を入れる。物販でCDを担当していたお姉さんが綺麗だったので真向かいのソファに座って時々眺めながら開場を待った。

割と若い整理番号だったのでまだ人が少ない内に入場、一階でもドリンクカウンターに寄って貰ったばかりのドリンク券を即使用しつつ、橫浜ではピーター側に陣取ったので、今度はロバートの前三列目くらいで開演を待つ。やがてほぼ時間きっかりにライブが始まった。

セットリストは橫浜と5曲位違った。この日は明らかにロバートの声のモニターが小さい場面があった事や、僕の周りにいた暴れる曲だけえらい暴れて後は仲間内で大声で喋ってはしゃいでいるバカ共の存在を除けば、この日も当然の様に素晴らしいライブだった。ライブで初めて聞いたUSガバメントやアコースティックでのマーシー、スプレッドユアラブの終わりのリフ追加バージョンなんかは特に興奮した。ロバートが何度も、何かを掴むように左手を突き出していたのがえらく格好良かった。

終演後は二階に戻ってまた酒を買い、開演前と同じく物販前のソファで休憩していた。前回の来日時は終演後暫くしてからこの二階で、ロバートがアコギ弾き語りを始めて大変盛り上がったという事があったので、ひょっとして今回もと待っていた。しかしその様子は無くしばらくすると多分同じ事を考えて残っていたであろう他の客も大分減り、物販も店じまいをはじめて閑散としてきたのでこれはもう無いと判断して、ロッカーから荷物を出し、出口に向けて階段を下りる。

すると入口付近がやや騒がしい。近づくと何とロバートがリキッドの入口付近に出て来ていて、小雨に濡れながらファンとの写真撮影に応じていた。幾らか飲んだ酒のお陰で多少気が大きくなっていた僕はすかさず生じたタイミングを逃さず声を掛け、拙い英語で撮影を願う。カメラマンは周りにいた知らない人に頼んだ。肩を組んで撮影後、ロバートは最後にグッと僕をハグしてくれ、建物内に戻っていった。バンドを組んで、格好良い曲を作って、世界中をツアーして、、、そういう風に生きている人にグッと抱きしめて貰う事で、その時着ていた革ジャン、まだまだ綺麗な僕の革ジャンに今後良い味がでていく様な気がした。

雨が降る駅までの道を、またパーカのフードを被って歩いた。今度はニヤニヤが止まらない顔を隠すためだ。BRMCのファースト日本盤の帯には「激情と刹那を抱えた物だけが入会を許されるクラブに君も入らないか?」というかなり面白いコピーが付けられていたが、正にメンバー直々にそれを許されたような、満ち足りた気分だった。

BRMC at 横浜ベイホール(2013.11.23)

f:id:when87:20131129230146j:plain

今回のツアー、僕は東京と橫浜を観に行った。

橫浜ベイホールは初めてだった。HPに乗っている簡単な地図をスマホに表示しつつ最寄りの元町中華街駅から街の中心とは反対方向に歩き出し、どんどん無機質で工業的、道幅が広く高速が空を閉ざす「港湾」な雰囲気のエリアに向かって行く。ある程度の規模のライブハウスは騒音やスペースの関係からこの手の地帯に作られる事は多いし、何よりスマホで地図上の目印を確認しつつ歩いているので迷うはずも無いのだが、やはり「こんな所にライブハウスがあるのか」という場所をずんずん進んでいくのでどうしても不安になってくる。そんな時は得てして通行人の中から「同じイベントに行こうとしているのであろう人」を年齢や雰囲気、服装などから何となく選別して同じ方向に進んでいるのを確認、安堵するものだが、今回は少し失敗した。

橫浜ベイホールは駅の方から見るとHOMESという巨大なホームセンターの裏手に回り、少し歩いたところにある小さな信号を渡ってまっすぐ行くとあるのだが、この信号がまたその先にライブハウスがあるとはとても思えない寂れた雰囲気でやや訝しんでいると、ふと、細身のブラックジーンズにモードっぽい雰囲気のスタジャンを着込んだスタイルの良い青年とベージュのコートが可愛らしいふわふわ女子のカップルが、この信号を渡らずにずんずん進んでいく。何の迷いもないその姿に僕はあーやはりこの信号ではないのだと思ってついていったのだが、一分くらい歩いて、次の信号が地図と違って余りにも遠いのに気付き後ろを振り返ってみると、後から来たロックファンぽい集団が件の信号を渡っていく所が見えた。これは先導を間違えたと気付いた僕は踵を返したが、カップルはまだまだ誤った方向に、2人きりでドンドンと進んでいくようだった。

会場に着くと既に入場待ちの列が出来ており、折良く直後にチケット番号順の呼び出しが始まった。ベイホールは入って目の前にまず細い階段があり、それを昇ると左に進む。そしてその突き当たりがまたT字になっていて、左手がトイレ、右手側がホールという曲がりくねった構造。肝心のホール部は広さや構造、バーカウンターの位置なども良く、正に「港湾地帯にある秘密のパーティ会場」といったような趣があって気に入った。僕はモスコミュールを飲みつつ、ギターのピーター側の柱に凭れて開演を待った。

前回のジャパンツアーから3年ぶり?に体験するBRMCのライブは、以前見た時より更に熱の籠もった素晴らしいものだった。客層も少なくとも僕の周りは良く、皆この日を心から待ち望んでいた人ばかりの様に思えた。レア曲といっていいスクリーミングガンに割とすぐ反応していたり、インライクザローズが始まった瞬間のさざ波の様な雰囲気がとても嬉しかった。年甲斐もなくピーターの目の前当たりでノリノリで観ていたのであまり冷静に聞いてはいないが、音も良かった様に思う。何よりバンドの演奏が盤石で、長年世界中を回りながら培われたライブ演奏の基礎体力の高さみたいなものを存分に見せつけられた。今回の日本ツアーではここでしかやらなかったレッドアイズなんかでは明らかにギターとベースのチューニングがずれているように思われたりもしたけど、そんな事は瑣末な事。フロントマン2人の間に漫才師の様にセンターマイクを立ててそれだけで音を拾うという演出で、あたかもキャンプファイアーの夜のような親密な雰囲気が最高だったアコースティックコーナーも含め、練り上げられたグルーブとパフォーマンス。本当に全曲楽しかった。我に返る瞬間が一回も無かった。

終演後に荷物を取り出しているとき、行き道で僕を惑わせたカップルを見掛けた。楽しげにライブ終わりの感想でも交わしている彼らには、きっと行きしなに道を誤った事も良い思い出になるんだろう。

中華街でエビチリと小籠包を食って帰宅。

spread your love - BRMC(2013/11/23 横浜ベイホール)

After the noise is gone - Rayons

f:id:when87:20131124222009j:plain

本作を聞くのに良い季節になってきた。

中井雅子さんという音大出身の方のソロプロジェクト。六曲中三曲にプリドーンがボーカルとして参加しており、残りはインスト曲。本作について、「ポップ寄りでメロディのはっきりしたポスト・クラシカルなアルバム」と言ってしまうのは簡単だが、特筆すべきはやはりプリドーンが参加したボーカル有りの三曲。中でも最初の二曲は、そういった安易なカテゴライズや評価を真っ向からねじ伏せる腕力がある。特に一曲目のIvyは歌詞もメロディも歌声も音色も、果たして一生に何曲出会えるか?という位の、ピアノ弾き語りの極北だと思う。

僕の年齢のせいもあると思うが新譜を聴いてこんな風に思う事はもう滅多に、というか無いと思っていた。

両曲とも非常にシンプル。一曲目のIvyは簡素なピアノと歌声だけだし、二曲目のDamn it, Shut it, Release itもその編成にストリングスのカルテットが加わっただけだ。作者はその出自を鑑みるにアカデミックな知識も充分だろうし、もっとクールな雰囲気で複雑にしようと思えば幾らでも捏ねくり回せたはずの楽曲を、しかしこれだけ徹底的に削ぎ落とし、最後に残ったその結晶は余りに無垢で冷たくて、美しい。

2012年の四月に下北沢の教会で行われたリリース記念ライブも、これまで観てきた数々のライブの中でも屈指のものだった。あの日は雨がそぼ降る四月にしては物凄く寒い日で、僕は最前列に座っていて、プリドーンの目の前だった。その位置で、殆ど生音で聴いた彼女の歌声や弦楽四重奏の音色はとんでもなく素晴らしく、自分の中の手垢に塗れた悲観や諦観、そういった安易な割にきっちりと重たい汚泥のようなあれこれがあっけなく僕の体から離れ、吸い込まれて、どんどん透明な結晶になって床に落ちていくような、そんな凄くすっきりしていく感覚がかなり即物的にあって、感動もさることながらむしろその感覚の具体さ(?)に驚いていた。音楽が齎してくれるもの、こんな感覚もあるのだと、今更思っていた。

尚、僕はそれまでCDから聴こえるストリングス(特にバイオリン)は概ね高音がきつ過ぎる印象で基本的に音色として苦手だったのだけど、あれは単にその録音が魅力を収めきれていないだけなのだと、このライブでようやく気付いた。初めて目の前で聞いた弦楽四重奏はとんでもなくふくよかで、豊かだった。

色々書いたがとにかく、「プリドーンのコラボ作品で珍しくピアノ伴奏で歌っているCD」という認識だけで何となくスルーしてしまうのは余りにも勿体ない、非常に上質な一枚。特に寒い季節が好きな人には是非聞いてみて欲しい。

最後に、この作品のVo曲はプリドーンが作詞していてその内容も素晴らしいのだが、特に好きな一節を下記に引用しておく。これは一曲目Ivyの、最後の一節(ちなみにこの部分の歌唱の低音を出し切れていない感じが又素晴らしい!)。

 

Silence veils confusion after all  全ての後、沈黙が混沌を覆う

 

Rayons - Ivy

ヒミズ - 園子温監督

f:id:when87:20131115231534j:plain

 原作漫画は何度も読んだ事がある好きな作品。本作は設定も脚本も雰囲気もまるで原作とは別物で、且つ原作の持つどちらかというと普遍的な性質に今現在の社会性を入れ込むという姿勢が特に原作ファンに受け付けないのは無理も無いが個人的には、園監督の映画作品の一つとして、相変わらず力強い良作だった。特に震災を受けて大きく改変されたという脚本、中でもラストについて、メイキングを観る限り監督もギリギリまで思案したようだが(このメイキングも役者と監督の真剣さや葛藤がびりびり伝わってくる良質なドキュメントだった)、とにかくあの様に落としてくれて良かった。安堵した。


映画『ヒミズ』予告編 - YouTube

※以下、ネタバレしています。

続きを読む

Laideronnette - matryoshka

f:id:when87:20131109165630j:plain

1stから5年の時を経て世に出されたマトリョーシカ2nd「レドロネット」。物凄く楽しみにしていた一枚だった。ラヴェルの組曲に登場する、世界一醜い女王の名から取られたというこのタイトルがまず衒学的でたまらない。

ただ楽曲を聞いてみると、構築の奥行きや音色の高級感は明らかに1stより増しているし、また曲や歌詞の質も相変わらず非常に高水準ではあるものの、一作目ほどの中毒性は無い。そう感じる原因の殆どは1stインパクトだと思うが敢えて挙げるならば、明確な起伏に富んだ展開の曲が増えた分聞き疲れしやすくなっているとか(「一度展開が閉じきって音が消えた後に全く別の展開が始まる」という曲の構成等)、全体的に開けた印象が強くなっていて(特にバタフライスープなどは最初聞いたときcokiyuかと思った)、それが良い悪いではなく何というか、「籠もる」感じを削いでいる事だろうか。前作が絶望や退廃、記憶に囚われた暗闇だとすれば、本作はそこを突き抜けて全てが真っ白く反転しているような雰囲気がある。

などとガタガタ書いてしまったけど、今作も全ての要素において妥協無く組み上げられた傑作であることは間違い無い。尚、上にも書いたが各楽器の音色面に関しては完全に今作の方が高級で、前作では所々に感じられたいかにもシンセっぽいチープさなどはほぼ消えており、マトリョーシカの描く深遠な世界により相応しく、入り込みやすくなっていると思う。なので、例えば前作を聞いて「全体的にやや淡々とし過ぎ」とか「シリアスで壮大な世界に誘うわりにはチープな音色が気になる」と感じていたような人には、今作こそ真打ちだろう。

個人的には三曲目の Sacled play secret place が特に良い。なかでも以下の歌詞の部分は何度聞いてもどうしようもなく胸が詰まる。

 

I feel so good , but I'm worn out   とても良い気分 だけど疲れたわ

We'll be all right, don't look so sad  私達は大丈夫 そんな悲しい顔をしないで

confess my sin,conceal them all  私の罪を明かし その全てを覆い隠す

Night will come soon and swallow everything  夜が来て全てを飲み込むわ

 

更に銀木沙織さんという作家の方が手掛けたという一曲目のPVも、恐ろしい完成度。初めて観た時、最初に館が見える所で唸った。


matryoshka - Monotonous Purgatory (MUSIC VIDEO ...

最後に余談だけど、マトリョーシカもレコード出してくれないかな。針が落ちていく雰囲気やプチパチノイズが凄く似合う音楽だと思うし、あの素晴らしいジャケットにしてもCDサイズしか無いのは非常に勿体ない。