Zatracenie – matryoshka
アルバム名はザトラツェニエと読みます。バンドではなくて、トラックメイカーとVoの二人組。これは確か発売当時にジャケ買いしたのだと思う。初めて通して聴いた時は、悪くはないがいかにも狙いすぎのメロディに格好付けたアレンジだと一聴して判断してしまい、しばらくほっぽっていた。しかし案の定、時間が経ってから何気なくもう一度聴いた時、はまった。買ってから一年近く経っていたように思う。
マトリョーシカの楽曲は言ってしまえばセオリー通りの退廃的な少女趣味、歪んだおとぎ話系とでもいうようなベタな終末感覚で溢れているが、特筆すべきはそのトラックや歌詞は勿論、曲名やジャケットやHPデザイン(一見普通のバンドのHPだが、開いて少しするとツタが絡まって何も見えなくなる)に至るまで全ての要素に亘って、そのある意味ど真ん中王道な退廃美を一切の妥協や衒い無く徹底的に貫き通しているところだ。だから、例えば目を見張るような独創性や天才肌な異常性などといったものは本作にはないのだけれど、強靱なストイシズムに裏打ちされた微細且つ丁寧な構築はそれを補って余りある。
おそらくたった一つの音色や一節のメロディ、一行の歌詞に至るまで絶対に納得いくまで決定にせず、これ!というのが出てくるまで考え抜いているのだと思う。この様な言わば減点法のようなやり方で製作を行うのは想像を絶する負荷だと思うが、比較的はっきりとしたメロディや世界観を打ち出す本作がしかし一過性の嗜好に埋もれない、絶妙の常習性を獲得しているのは、そうやって培われた細部の強度があってこそだろう。
アルバムタイトルを冠している割にはユニットの紹介記事になってしまった。尚、マトリョーシカは前述したように歌詞もかなり良いので最後に、アルバムラストを飾る曲February lifesaverの、更にその最後の部分を引用しておきます。この一節とともに、アルバムはとても静かに終わっていく。
How Beautiful ! なんて美しい
How Beautiful the world is ! 世界はなんて美しいの
I’m so sorry 本当にごめんなさい
All is my fault 全ては私の過ち