ヒミズ - 園子温監督

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 原作漫画は何度も読んだ事がある好きな作品。本作は設定も脚本も雰囲気もまるで原作とは別物で、且つ原作の持つどちらかというと普遍的な性質に今現在の社会性を入れ込むという姿勢が特に原作ファンに受け付けないのは無理も無いが個人的には、園監督の映画作品の一つとして、相変わらず力強い良作だった。特に震災を受けて大きく改変されたという脚本、中でもラストについて、メイキングを観る限り監督もギリギリまで思案したようだが(このメイキングも役者と監督の真剣さや葛藤がびりびり伝わってくる良質なドキュメントだった)、とにかくあの様に落としてくれて良かった。安堵した。


映画『ヒミズ』予告編 - YouTube

※以下、ネタバレしています。

 監督がどこかでこの映画について「希望に負けた」というような事を言っていたが、これは本作をとても端的に表現していると思う。あくまでも上昇志向を伴う幸福を夢見ることを健康とし、半ば強制するかのような社会に真っ向からNoを叫ぶ住田と茶沢。次から次へと訪れる不可抗力の暴力や無情に彼らは文字通り泥塗れになって抗うが、しかしそれでも容赦ない現実に打ちひしがれた住田の目に、いつか一人のヤクザが置いていった拳銃が目に入る。しかして原作の住田は最終この銃で自身の頭を撃ち抜くが、本作の住田は結局ギリギリで思い止まり、夜明けの川沿いを疾走する。そしてその横を並走する茶沢はあまつさえ、住田ガンバレと連呼する。でもそれが薄ら寒く響かないのは、そこに至るまでの主人公2人の過程を、それでも生きるのだ、生きるしか無いのだという意志への道筋を、これでもかと執拗に描き説得力を持たせているからだ。

 前向きな事は多数派であり、その時点である種の暴力性を帯びている。しかし、それでも生きるなら、生きたいと願うならば、いつかは自分もそこに与して頑張るしかないのだ。多かれ少なかれ、自分もその暴力を振るう側に回ったことを自覚しながら。上述した監督の「希望に負けた」とは、そういう事ではなかろうか。

 本作の中で徹底的に雨に打たれ、泥にまみれ、のたうち回る住田と茶沢が最後に辿り着いたその振る舞いに、僕は強烈なパワーと感動を覚えた。愛のむき出しなんかもそうだったが、やはりこの最後に何もかもをぶっ飛ばすようなむき出しのカタルシスが、園監督の醍醐味だと思う。

 それにしても「生きる(ろ)」という概念や言葉って震災以降、明らかに含まれる成分や奥行きが変わったと思う。本作もそうだし、思えば塚本監督のKOTOKOのポスターにもこの言葉があったし、ジブリの「風立ちぬ」にも象徴的に用いられていた。この単純な言葉を元来の清潔さで高らかに響かせるという、たったそれだけのために、良心的な作家ほど血みどろでもがいている、という印象。この流れはまだまだ続くのだろうなと思う。