出現 - ギュスターヴ・モロー
日曜美術館でモローが特集されていた。上の「出現」や「オルフェウス」といった代表作しか知らなかったので、晩年近くに製作されたという殆ど抽象絵画みたいな作品群や、また中年期には長い間隠遁していて作品を発表することもなく、只管アトリエに籠って製作を続けていたというバイオグラフなどは初めて知って、そして非常に納得した。
資産家の息子で金に困る事は無かったようだが、それにしても一番名誉欲が高まりそうな時期に引きこもっているとは。例えば上の「出現」のサロメの衣装や背景の建築様式には多分にオリエンタルな要素が取り入れられていて、言うなれば史実を無視して自分の理想の世界観を優先しているわけだが、その辺りから考えるに金にも名誉にもまるで頓着無く、ただただ自分の思い描く世界や現象を、それこそ目の前に出現させたかった人なのだと思う。或は、相当自分や自意識というものに厳しく対峙していたか。恋人はいたものの結局は生涯独身だったという話や、老年にさしかかると友人の紹介で意外と教職に就いている辺りを考えると後者かもしれないが、いずれにせよ、執拗なまでに描き込まれ具現化された作品世界を見るにつけ、彼の精神が相当な遠い場所まで触れ得ていたのは間違いないだろう。番組では幾つか作品の下絵も紹介されていたが、もの凄く細かい箇所の衣装や背景の紋様まで、執拗にデザインされていた。
しかしモローやクリムトなど象徴主義の画家達の絵画を見ていると、未だにスーファミの頃のスクエアRPGが思い出される(当時のファイナルファンタジーやロマンシングサガなどのゲームの敵キャラデザインは明らかに象徴主義周辺の絵画達がデザインソースとなっており、子供心に格好よいな、やっぱドラクエの鳥山明なんかよりこっちでしょなどと思っていた)。今は3Dの時代だし難しいのは分かるが、またあのテイストで作画したゲーム作ってくれないかな。FF6のケフカとか、本当にまんまで素晴らしかった。