セイジ 陸の魚 - 伊勢谷友介監督

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 夏の映画。

 サントラが非常に良かった本作は、イケメン俳優伊勢谷友介、8年ぶり2作目の監督作ということだった。特に日本で、俳優の監督作でろくなものを見た記憶が無いので余り期待していなかったがかなりよかった。舐めていたことを詫びたい。尚、原作小説は未読。
 物語は中年の主人公があるきっかけにより、20年前の大学最後の夏休みに体験した出来事を回想する形で始まる。自転車旅行の途中偶然立ち寄る事になる、山中のカフェ兼バーのような古びた建物。夜な夜なそこに集まる常連達や店のオーナーは、皆其々に迷いや傷を抱えていて、そして何よりも雇われ店長である謎の男=セイジは一体何者なのか、という所で観客を引っ張りつつ物語は進行していく。


映画『セイジ -陸の魚-』予告編映像 - YouTube

※以下、結末に触れています。

 本作は、セイジ自身の再生の物語ではないだろうかと思う。中盤以降の展開を観ていて僕はずっと、セイジがあの少女を殺すというラストを想像していた。実際津川雅彦から斧を取り上げた時はいよいよだと思った。しかし、彼がそれで切り落としたのは自身の左手だった。その返り血は少女の顔に降り注ぎ、魂を呼び戻す。あのスローモーションで描かれたシーンを観たとき僕はとてつもなく安堵し、同時にひどく動揺した。思いやりとか同情や優しさ、もっと言えば、人が人を救うという事の途方もなさ、その一端を、改めて見せつけられた気がしたからだ。
 幸福とか不幸とかいう概念を超えるような圧倒的な不条理や突発的な災厄に、大切な誰かが見舞われてしまった時。決して同じ気持ちになどなれない、立場にも立てない。また仮になれたところで、失われたものは決して、二度と帰ってこない。この圧倒的な断絶と真正面から対峙してしまった時、もうそうするしかないという、あまりにも静かで激烈な衝動。

 クライマックスの瞬間にセイジが断ち切ろうとしたものは、単なる怒りや憤りを超えたもっと大きな、流れというか、そういうものではなかったかと思う。左手や痛みや、ひょっとしたら命は、いずれにせよ彼にとって安い代償だったのだろう。
 

 こういうミニマムな舞台・人物達の物語からもっと大局的な生と死、世界の有り様みたいなものに手を伸ばそうという作品は好きだ。しかし、このミクロからマクロを想わせるような流れの作り方に関して、本作の中の幾つかの台詞や演出は少しくさすぎるという印象は否めない。なので、その辺の雰囲気をもう少し削って、もうちょっと全体的にサラッと薄味でまとめた方が却って、特にクライマックスの展開の凄みが増したのではないか。などと思った。
 あと苦言ついでに、中盤の時系列シャッフル、あれだけは完全に頂けない。全く意図が分からず、せっかくの美しい物語を徒にわかりずらくしているようにしか思えなかった。
 

 映像は美しい。山や湖の風景、バーの室内映像もどこか埃をかぶったようなノスタルジックな雰囲気がとても良い。ヘルプレス(青山真治監督作)しかり、僕は夏場の山道やそこに佇むうらぶれた店が何故か、どうしても好きだ。渋谷慶一郎が製作・選曲している音楽もメインテーマのピアノ曲を除けば電子音楽メインながら、その手触りみたいなものがノスタルジックな夏山の物語に驚くほど合っている。
 役者陣もとても気の利いた配役で、演技も申し分ない。主人公二人は言わずもがな、KEYや、子役も良かった。そして何より久しぶりに見た裕木奈江。昔から顔は好きだったが、アップになったときの皺をセクシーに感じたのは初めてだと思う。
 総評として、突込みどころもそれなりにあるものの、それを補って余りある映画的魅力や示唆に富んだ一本だと思う。
 それにしてもヘルプレスと被っている点が多い。夏場に20前後の若者が山道沿いのうらぶれた飲食店に入る。ナポリタンを食べるシーンがある。浅野忠信と森山未来は顔も似ている。

 映画を見ていると、自分でも知らない自分のツボが明らかになる事が多々ある。