地獄でなぜ悪い - 園子温監督

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タランティーノは見たのだろうか。もし見てないなら今すぐ電話して知らせたい。
二階堂ふみちゃんにギャル服着せて刀を持たせる事と、昨今のぬるい邦画界のただ中で例え血まみれになっても俺は俺の映画を撮るのだ!という園子温監督の宣言。物語などあって無きが如し、この2つのためだけに製作されたような映画。素晴らしい。特に二階堂ちゃんのちち、、恐れ入った。彼女は最近まさに色んな現場から引っ張りだこという印象だけど、そりゃこんなの見せられたら誰だって使いたくなるだろう。こんなの、というのは無論ちちばかりではございません。


映画『地獄でなぜ悪い』予告編 - YouTube

※以下ネタバレがあります

 
映画作りに青春を賭けた若者達の話と、女房の為に娘の主演映画をどうしても作りたいヤクザの物語が並行して進み、最期の乱闘において激烈に交差、跡形もなく爆発する。クライマックスに至るまでの展開は少しまどろっこしい印象で特に映画作りチームの青春譚に至ってはそれが顕著だが、相変わらずラストのヤマ場で爆発するエネルギーが凄すぎてそれを完全に帳消しにする。素晴らしくアホらしく血が流れ肉が飛び散り首が飛ぶ。今時珍しいこのような現場に発奮したのであろう俳優達の演技も清々しく度を超しており味わい深い。中でも國村隼のヤバさと、堤真一の気持ち悪さを改めて堪能した。あと、一瞬だったけどふみちゃんの殺陣も格好良くて、よく練習したもんだと感心。細部の描写に拘る園映画では無いが、「美少女の殺陣」の様な要所はきっちり作り込んでいる辺り、流石としか言いようがない。あの回転切りからの刀捌きは何気に時間も手間も掛かっているはず。
そして何より、血みどろで馬鹿馬鹿しい地獄のミキサーの様な修羅場を喜々として撮影する映画青年達の姿に、映画作りというものにつきまとうのであろう一抹の滑稽さを自嘲しながらもそこに命を賭け続ける監督自身の業を見る。特に唯一生き残った監督志望の青年が「撮れてるぞ」と言いながらフィルムを回収していく様などは完全に、監督が愛する映画や映画人達への返礼であり誓いであり、また映画という夢に破れて散っていった、かつての仲間達へのメッセージでもあるのかもしれない。

あと最後の最後で映画という枠組みを突然外してみせる終わり方も、それまでが荒唐無稽な本作だからこそ躁状態からふと醒めてしまった時 の虚しさがひどく際立ってきて、切ない。盛り上がった観客の頭に最後に冷や水ぶっ掛けて終わるような意地悪な終わり方とも言えるけど、とても印象的だった。
若松孝二も死んでしまった今、「とにかくがむしゃらなまでのパワー感がある邦画」というかつては多くの映画人がひしめいていたその場所に、今はもう園子温ひとりしか立っていないという気がする。そしてそれでもやるんだ、暴れてやるんだという決意表明をそのまま冗談半分の逆切れのようなテンションで作品にしてしまったのが本作だろうか。そんな事を思っていると「地獄でなぜ悪い」という抽象的なタイトルも、これしかないというような具体的な一節に思えてくる。